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ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』第2章 2まで

第2章

 

家父長制が歴史的必然だという議論に対し、それは歴史的で偶発的でしかないというフェミニズムが出す家父長制以前の図式も別種の物象化の制度。

 

レヴィ=ストロース「自然/文化、セックス/ジェンダー

↔︎クリフォード・ギアツ「『自然』はさまざまな文化的配置を取り得る」

 

1

 

女性の交換においては花嫁はアイデンティティ不在の場所となることによって、男のアイデンティティを反映する

「結婚する女がもつのは、アイデンティティという資格ではなく、関係項-共通しているが内的に差異化されている父系列アイデンティティをもつ各宇治族を、区別立てすると同時に相互に結束させる関係項-という資格である」(p84)

「もしも《象徴界》から排除されたセックスの領域があり、それによって、《象徴界》がその及ぶ範囲を全体化できているのではなく、ただ覇権的な力で支配しているにすぎないということが示されれば、この排除された領域を、この機構の内側に置くことも、外側に置くことも可能であり、その位置づけによって、介入の戦略を変えることも可能なはずだ」(p88)

 

レヴィ=ストロース:禁止が存在している≠禁止が作動している→倒錯的な実践がどんどん生み出されている

 

この禁止が言語(記号)にとってかわり、言語は「満足させられることのない欲望の残余」=「つねなる意味作用の失敗」をもたらすものとなる

 

2

 

ラカン:事物の「ある」という性質が存在論的な身振りによって起動するようになるのは《象徴界》という前-存在論的である意味構造の内部(存在論的)においてのみ

 

(ex)《ファルス》で「ある」=《他者》の欲望のシニフィアンである(正確にはそう見える)=(男の欲望の)《他者》である=《ファルス》を「もたない」女性に対して、《ファルス》に「なれ」と命じるのが《ファルス》を「もつ」主体(男性)

ただし、これは《ファルス》で「ある」ように「見える」にすぎないのであって当然、仮装だし、女は《ファルス》で「ある」という《法》を十全に反映できないし、男もペニスは《法》を象徴化できないため、あくまでも《象徴界》内の喜劇として失敗に終わる

 

仮装

・男の欲望に参与して女の欲望を断念させるに至るもの(イリガライ)

・「セックスの存在論をパフォーマティブに生産するもの」(p97)(バトラー)

・愛を拒絶されることによって喪失した対象と自己を同一化させるもの(ラカン)←異性愛主義的

・自身の同性愛(クイアも?)を隠すために異性愛者ぶる、セックスの特徴と欲望と「性指向」のあいだの相関関係があるとされているため、それに対する「闘争」(社会での生存戦略)(リヴィエール)

 

「闘争」は何に貢献するか?

男性性や女性性の構築は、禁止される以前の「両」性愛に根を持っている

しかし、両性愛も、それが抑圧されるものだという言説から出てきたものでは?

「あらゆる同一化は、何らかの幻想をその理想としているがゆえにかならず失敗する」(p110)

 

しかし、このような必ず失敗する《象徴界》の命令はなんのためにあるのだろうか。

そんな《象徴界》《法》=権力、言語etcの権力のなかで抜け出すことができるとしたら、どのような方法によってだろうか。