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映画『ここは退屈迎えに来て』を見ました


10/19公開 映画『ここは退屈迎えに来て』予告

 

これです

Twitterで誰か経由で流れて来て、この公式アカウントが流れて来て、富山でロケのほとんどを行なっていて、地方のロードサイドの感じが云々みたいにあったので、

 

地方出身者、かつ、ロードサイド・チェーン系ショップ大好きな私としては時間あったら見るぞーと思っていました。

 

ロードサイドは「地方特有の車社会がー」みたいな言説で語られがちな印象があるのですが(というかロードサイドということばからしてそうだよね)、実際、自転車のアクセスもかなり良いんですよね。東京都市圏だと自転車で結構不便なことが多くて。それもあって、車に乗らない(乗りたくない・怖い)、自転車好きな私にとってはロードサイドはポイント高いんです。

 

あとチェーン系ショップ(たとえばドトールとかですね)大好きなのは、すべての商品やらオペレーションやらが画一化されて裏切られない感じ、そこから出る安心感はなににも代え難いと思っているからです。純喫茶とか、京都にいた頃だとソワレとかも行きましたけど、観光地化されていて、人が多くて、逆にあまり落ち着けない。そもそも、そういうお店はおしゃれな人が多くて身構えてしまう。だからこそチェーン系ショップが好きなんですね。自然体で入れる。

 

ちなみに本当は研究会が近くてレジュメ切らなきゃいけないので本郷の総図にゼミの後立ち寄っていろいろ作業するつもりで、つまり時間なかったはずだったのですが、なんか別館しか空いていなかったのでしゃーなし映画でも見るかという形でバルト9で見て来ました(ちゃんとレジュメはなんとか自分基準では切れたと思っています)。

 

話が逸れまくりました。

 

この映画についてです。

ネタバレ含むので、ネタバレ嫌な人は以下は見ることおすすめしません

 

まずストーリーとしては、東京でライター目指してた「私」(橋本愛)が地元に帰って来て、久しぶりに友達に会って、そこで当時好きだったクラスの超人気イケメン男子椎名くん(成田凌)に会う約束をノリで取り付けて、その約束の時間までに、彼女らの高校時代の回想シーンを交えながら、思い出のゲーセンに行ったりするんですが、そこで新保くんという地味なキャラクター(松本大知)と会って、イケメン男子椎名くんの落ちぶれ具合とかを聞くんですが、それでもまぁ会う約束はしてあるんで、とりあえず彼のいまの勤務先である自動車教習所に行ってみようということで、そこで会うんですが、「私」はそこで「ところで名前なんだっけ?」って椎名くんに言われて「えっ嘘でしょ…」みたいになって、フジファブリックの悲しめの劇中歌をうたって終わるみたいな感じなんですが、まぁざっとまとめると

 

「いろいろ人生は期待通りに行かないし、昔の人気者も『みんなが人気者扱いすること』によって人気者になっている場合があるから、思い出補正というか幻想だよね」みたいな感じのことを伝えようとしているっぽいです

 

とりあえず、この時点でまずツッコミどころがあって、Facebookとかでやりとりしてる設定(のはず)なのに名前をど忘れすることなんてないはずなので、「名前なんだっけ?」ってなるのもおかしいし、そもそも名前をど忘れしてたとしても、普通の人はなんとか誤魔化すはずなので、それができないくらいに椎名くんが落ちぶれていたってことを表したかったのかなーって思ったり

 

ただ、これメインストリーは「私」(橋本愛)と「椎名くん」(成田凌)なんですが、サブストーリー的なのもいろいろあって、椎名くんは、劇中でほとんど設定が紹介されない女の子と結婚しているんですよね。その点を鑑みると、そんなに椎名くんが落ちぶれているとは思えないというのもありました

 

で、さらにほかのサブストーリーとしては門脇麦が演じる「あたし」というキャラクターもいて、彼女はその椎名くんの元カノなんですが、フラれてから割と自暴自棄になって、冴えない知り合いと惰性で一夜を共にして、その間に、自分のことを惨めに感じて、ホテルを飛び出してしまうんですね。飛び出して早朝、しかも地方なんで、めっちゃエモい感じでフジファブリックの劇中歌を歌っているシーンがあって、そことかは絵になるなぁって感じなんですが、そのサブストーリーがメインのストーリーとつながらないとこが残念だなぁと

 

そして、さらにまたもうひとつサブストーリーがあって、それは片山友希演じる援交少女なんですけど、そういう自棄になってる女の子が出てくるストーリーのエモさはなんとなく共感できる部分もあってそれ自体は好きなんですが、片山友希と門脇麦が雰囲気似ていることもあって、上映中は、「あたし」こと門脇麦がフラれて、承認を求めて援交に手を出して、援交してた冴えないおじさんに対しては優越感をただ感じられるからよかったけど、そのおじさんもお見合い結婚するとかでもう援交できないってなって、それで、前段落で述べた、対等だとは思ってないのに対等ぶってくる冴えない知り合いに余計に腹が立ってホテルを飛び出してしまう的な流れなのかなと思っていたんですが、あとで全然関係なかったって知った感じです

 

映画見終わった後にレビューサイトを見ていたのですが「登場人物同士の絡みが薄い」というコメントがあって、まさにその通りだなと。そのせいで、「誰がどういう気持ちで何をしているのか」がめちゃくちゃ伝わりにくくなっているんですよね。群像劇という位置付けなのもあって仕方ないのでしょうけど、回想シーンがめちゃくちゃ多いこともあってただでさえストーリーが掴みにくいのに、門脇麦と片山友希の役柄とぱっと見が似ていることもあって私は相当混乱してしまいました

 

まぁただ全体的な映画としての評価は役者も第一線を揃えていることもあって、かつ、カメラワークも(わざと手ブレさせているところとか批判もあるようですが)結構好きな感じだったので、悪くはない、けど、もったいない要素が多いな、というのが総評になります

 

話をこの映画で監督/原作者が伝えたかったであろう「いろいろ人生は期待通りに行かないし、昔の人気者も『みんなが人気者扱いすること』によって人気者になっている場合があるから、思い出補正というか幻想だよね」というメッセージに戻しますが、実際どうなんでしょうね。主人公「私」(橋本愛)の友達は東京にめちゃくちゃ憧れがあって、かつ、「私」も東京で夢破れた設定だからこそ、「人生は期待通りに行かない」ということを伝えたいことはわかるんですが、そもそも舞台の富山も一通りのものが揃っている場所で、かつ、2013年という設定なので、東京の情報もそこそこ入ってくることを考えると、そもそも「期待」というほど主人公である「私」たちは期待をしていたのかなというのが設定上は微妙に感じられるのですが、あくまでもそれに則って考えると、「期待通りに行かない」というのは結構誰しもが感じているトピックだと思っています

 

ちょっと社会学の話も交えると、マートンっていうアメリカの社会心理学者?社会学者?がいるんですが、「アメリカに行けば夢が叶うよ」というアメリカンドリーム言説が支配的な一方で、実際に夢を掴むことができる、正攻法で成功できるチャンスはめちゃくちゃ限られてるみたいな議論を彼はしていて、だからこそ裏社会にアクセスして、そこで成り上がろうとする人が出てくるんだ的なこと述べているんですが、こういうところからも「メディアやらなんやらに煽られて期待値は上がるけど実際はうまくいかない」というのが人口に膾炙することが見えてくるなって感じです

 

昔の人気者のカリスマ性みたいなものが幻想なんじゃないかというのは、劇中の主人公の上司のセリフ「そんなやつ(椎名くん)そもそも存在しなかったんじゃないか」にもっとも現れていて、だからこそ、これを伝えたいんだろうなーというのはバシバシ感じたんですが、これについては勿論、周りが「誰々はかっこいい」とか情報を、しかも学校というクローズドなコミュニティで流すことで、そういう人気者であるペルソナ(?)ができあがっていくというのはある一方で、単に地方レベルではめちゃくちゃすごくても、大人になって、めちゃくちゃすごい人コミュニティに移ると、そのなかでは「自分って大したことないなー」って状態になっちゃうこともあるレベルでの話でもあるかなって思いました。実際に椎名くんは高校を卒業してから大阪に出て、そこで挫折して落ちぶれたっていう設定だったこともあったので、尚更そう思いましたね